私たちのこれまで(酒井視点)

9月27日

久しぶりに吉野さんから電話がきた。

酒井「はい、酒井です」
吉野「お久しぶりですね!」
酒井「おーっす、おーっすおーっす!」

吉野さんに紹介していただいたご利用者の件で話があり、それからお互いの近況について話した。そういえば、8月はずっとサンバに明け暮れていたので、こうしてお話するのも久しぶりだ。僕が夏のすべてをサンバに注いでいる間にも、吉野さんは大田区中を駆け回っていたようだ。

吉野「じゃあ、担当者会議10時で」
酒井「わかりました。お疲れ様です」

ここから話が始まる

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9月29日

いつものように朝ぎりぎりに出社し、息も絶え絶えに朝礼に参加、慌ただしく会社を後にし、客先近くのコインパーキングに滑り込んだ。9時50分、時間どおり。夏のサンバですっかりブラジル時間を過ごしていた僕の時差ボケも、そろそろ解消してきたようだ。そもそも日本から離れていないしな。ふっと気が緩み、プライベートの携帯を手にした。

と、1時間前に吉野さんからの着信が。

僕はすべてを悟った。

今日の会議、中止だ絶対。

折り返してみると案の定、

吉野「あ、人集まんないから中止中止!もう、連絡したのにー」
酒井「あはは、すみません。」
吉野「せっかくだからうちの事務所に寄っていきなよ。ピザもあるし」
酒井「え、ピザですか?ちょうどピザが食べたいなと思ってたところなんです」
吉野「仕事の話もあるんだよね」
酒井「じゃ!後ほど!」

最後は聞いていなかった。
僕はピザを求めて車を飛ばした。続く

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事務所に着くと、久しぶりの面々が僕を出迎えてくれた。

吉野「お疲れ様です!」
金丸「久しぶりー」
菅原「(なんだかよくわからなかったが、プロテインの専門的な話をしていた気がする)」

酒井「おーっす、おーっすおーっす!」

まったく変わらない三人に安心しながら、ピザを食べる僕。

吉野「そうそう、酒井さんサンバやってたよね?」
酒井「ええ、今も現役ですよ」
吉野「はい、じゃあ踊ってみて」

まったく変わらない吉野さん。おどおどしながら踊る僕。

吉野「よし、合格だ!」

天才の発想は僕にはわからない。

吉野「酒井さん、障がい者の子たちにダンスを教えてほしいんだ」
酒井「え、ダンスですか?」
吉野「そう、そして一年後、何かの大会に出てもらう!」


え、なんだこれ...めちゃめちゃ楽しそうだ!!

吉野「ちなみにさ、サンバってどんな動きがあるの?」

ひとしきり踊ってみせる僕

吉野「あー、難しいな。やっぱサンバはきついかな」
酒井「いえ、そんなことはありません。サンバは心ですから!技・体なんて二の次です!」

健常者も障がい者も一緒になって、一つのものをゼロから作り上げるプロジェクト。その講師に自分が選ばれるなんて。心からわくわくする。振り付けに構成、メンバーに練習期間、聞きたいこと話したいこと考えたいことは山ほどあった。
しかし、焦りは禁物だ。まずはやるべきこと、自分の考えを整理しよう。話はそれからだ。
金丸さんが僕の車を放置車両として通報しようとしていたこともあって、その日はいったん引き上げることにした。続く

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9月29日 夜

こうしてプロジェクトは始まった。

吉野さんに頼まれたことは3つ。

一つめは、ダンスの振り付けを考えること。二つめは、一年後にダンスの発表の場となる荏原高校の先生と当日の構成や、練習日などのスケジュールを調整すること。三つめは、講師役となる仲間を4人募ること。

僕は思っていた。どうしよう、と。

まずは、ダンスの振り付け。そもそも何の曲をやればよいのか、見当がつかない。サンバ?サンバといっても純粋なサンバはテンポが速すぎるし、マツケンサンバはサンバじゃなくてマンボだし、「みんなが踊れるように簡単なもの」という要望もいただいていた。それに、先生とはどこまで打ち合わせればいいんだろう。高校生たちともコラボをするうえで、どういった振り付けを考えればよいのか。また、仕事の分担の仕方も考えなくちゃいけない。
でもそんなことよりも困っていることがあった。講師役の確保である。

僕の入っているサンバチームは、本拠地が東京都西東京エリアに属するため、大田区まで来るのに電車で一時間強かかるのだ。メンバーには学生も多い。はたして四人も集められるのだろうか...。
連休を武蔵境の実家で過ごそうと、中央線下り電車に乗り換えた僕は、モクモクと湧き出る不安に身を任せていた。

いや、そんなことを心配していても仕方がないぞ。まずは誰かを誘ってみないと。
それにちょうどいいじゃないか。連休は武蔵境にいるんだ。サンバチームのメンバーを誘って飲みに行ってみよう。

ちょうど今日、サンバチームで衣装を製作するメンバー同士の会議があったため、終わりの方だけ顔を出してみることにした。

ミーティングに顔を出すと、いつもより顔ぶれが若い。少し嫌な予感がする。
ミーティングが終わって、みんなを飲みに誘った。10人弱が集まってくれた。

が、嫌な予感は的中した。

大学生しかいない。社会人がいない。お金が...。続く

祭りのあと

串カツ田中で散財し、終電が近いメンバーは次々と走り去っていった。
僕の財布の中身も終わりが近づいていた。

しかしこのまま帰ったのでは、ただ飲んだだけになってしまう。僕は、終電を逃した男子と、武蔵境に住む女子とを誘って一緒に武蔵境に移動した。北口のファミリーマートでお金をひねり出した僕は、二人を連れて夜の街に消えていったのだった。


9月30日 丑三つ時

僕と一緒に二次会に行った二人は、どちらも僕の大学の後輩で、どちらもダンサーだった。
年の離れた二人だけれども、サンバというものを通じて知り合い、ひと夏を共に過ごした戦友として僕は彼らを見ていた。僕らのチームは、毎年8月の終わりに催される浅草サンバカーニバルに毎年出場している。僕は今回で9回目の出場だった。彼らはまだそんなにサンバ歴は長くないけれども、今年の結果がどうだったとか、来年はもっとこういうことを頑張りたいとか、そういう話だけで一晩語り合える、そんな貴重な仲間たちだった。

さて、飲みに飲んでひとしきり語って一息ついたころ、男子の方から興味深い話を聞いた。その子は障がいというものを身近に感じていて、何かそういう人たちのために自分が力になれないかと、常日頃思っていた、とのことだった。だが魅力的なものごとであふれかえっている大学生活において、そのような思いが、何かの行動として具現化することはなかったのかもしれない。そこで僕は今回のプロジェクトの話をした。

酒井「障がい者と一緒にサンバを練習して、大会に出るっていう企画があるんだけど」
中山「え、なんですかそれ!面白そうですね!」
酒井「いま一緒に講師をやってくれる人を探してるんだよね。どうかな?」
中山「え、是非やってみたいです!お願いします!」

意外な反応だった。うれしかった。ふっと肩が軽くなった気がした。
今夜、体力的にも時間的にも金銭的にも無理して飲みにいったこと、みんなを誘ったことは、決して無駄じゃなかった。本当によかった。
ありがとう、快く引き受けてくれて。さっきまで隣りの女の子ばっかり可愛がっていて君にはあんまり話を振っていなかったのに。ごめんな。本当にありがとう。
まだこれから3人集めなくちゃなんない。正直不安だ。でも、こんなに早くひとり見つかるなんて。本当に感謝だ。快く乗ってくれる人たちのためにも、これから頑張らなきゃな。


ただ、ひとつの不安は

話をしていたときの彼が


めちゃめちゃ酔っていたこと


続く

10月2日

改めて吉野さんから依頼がきた。サンバの講師をやってほしいと。

僕が日常業務であたふたと時間を過ごしているうちに、どんどん話が進んでいた。相変わらず吉野さんのスピード感はすごい。たぶん吉野さんは10人いる。

話によると、荏原高校の先生方にすでにアプローチをかけ、仮ではあるが企画の大枠ができあがっていた。来年の文化祭で、健常者・障がい者・高齢者の垣根を超えたイベントがおこなわれる。なんだかすごい話になってきた。

当初は、僕が所属するサンバ団体のパレードに障がい者も参加できないかという打診もあったのだが、所属チームの特性上、難しいことを伝えていた。

ただし、もし今後の取り組みで大田区との繋がりができて、大田区の商店街からパレードの依頼をもらうことができたとすれば・・・。
僕のサンバチームのパレードに、障がいを持った方々にも参加してもらう、というスタイルが実現可能かもしれない。

なんて、遠くてふわっとしたサクセスストーリーを思い浮かべていた僕に、

来年の荏原高校文化祭に向けて、講師を集め、学校側と調整し、ダンスを作り上げる。


という、具体的なミッションがどさっと降りかかってきた。
これから忙しくなりそうだ。

続く

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10月3日

プロジェクトのLINEグループに招待してもらった。介護関係だけでなく、様々な分野の人が集まっていた。

フリーマガジンを発行している団体の方が挨拶をしていた。これからプロジェクトが進行していくうえで、強力な発信源になっていくに違いない。


日本体育大学荏原高校生徒会担当教諭という、いかにもゴツそうな肩書きをもった教員の方が挨拶をしていた。来年のプロジェクトの舞台となる高校の先生だ。

教頭に企画を見せたところ好反応だったという。

きっと、日本体育大学荏原高校生徒会担当教諭らしく、勢いと覇気だけでゴリ押ししたんだろうな。やだなあ。僕はこんなアニキと、ダンスにまつわる諸々を調整しなければならないのか。やだなあ。この人と連絡調整するの。怒られそうだしなあ。もっとたおやかな先生と連絡調整したかったなあ。そんで、そのたおやか女子と頻繁にやり取りしたりミーティングとかしちゃったりして、さんざん楽しかったんだろうなあ。ところが現実はマッチョな先生。やだなあ。ほんとに。


続く


10月6日

プロジェクトに伴い発刊する、フリーペーパーの一部を書かせてもらえることになった。

僕自身のこと、たとえば仕事のことや趣味活動のことなど、自由に書いてよいそうだ。

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僕は大田区で福祉用具の仕事をしている。

ざっくり説明すると、介護保険を利用して、レンタルや販売、住宅改造を格安で提供する仕事だ。車いすや電動ベッド、入浴用具、手すりなど、主として高齢者向けの福祉用具を扱っている。

エンドユーザー、すなわち利用者は高齢者個人であるが、そういった方々から直接の依頼が来るのは極めてまれである。

なぜならば、多くの場合、利用者自身が福祉用具の情報を得ることは困難であるからだ。

そもそも福祉用具の会社は規模が小さいことが多く、広告にお金をかけることができない。

だからこそ情報媒体は、インターネットなどに限られてしまう。

高齢の利用者にとって、インターネット上で情報を探すことは容易ではない。

ほとんどの場合、居宅介護支援事業所(、すなわち利用者の担当ケアマネジャー)が情報提供をおこない、利用者にマッチしそうな事業者を紹介し、利用者がそれに同意する、という形で事業者の選定がおこなわれる。

つまり、利用者が事業者を選定しているようでその実、ケアマネジャーが事業者を選定し、契約させていることになる。多かれ少なかれケアマネジャーの意図、バイアスがかかっているのだ。

この現状は、介護保険制度がどうとかケアマネジャーがどうとかいうことではなく、

単に事業者側の広告・宣伝不足によるものであると考えている。

広告・宣伝が不足する、すなわち情報が利用者のもとに届きにくいということは、

潜在的にニーズを持つ人たちに必要なサービスが届かないことを意味する。

ケアマネジャーは、基本的には自身の担当する利用者にしか情報提供できないので、ケアマネジャーの情報発信だけでは、ニーズを抱える全ての人には応えることができない。

今回のフリーペーパーに寄稿することで、多少なりとも、サービスを必要とする人たちに情報提供ができればよいのではと考えた。

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  • ・・

駄目だ。文章が長すぎる。退屈すぎる。これでは誰も読んでくれない。

新聞のコラムに載せるにしても内容が偏っている。

どうしたらよいんだろうか...。

僕は悩んでいた。

続く

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10月8日

色々と悩んだ末に決断した。

とりあえず、仕事の話はやめよう。

初回は、サンバの話でいくことにした。

僕の所属するチームは、毎年関東圏を中心に、パレードの依頼を受けている。

商店街でのパレード、地域のイベントでのステージパフォーマンス、結婚式披露宴や会社の忘年会などの余興、などなど、さまざまだったが、実は大田区ではまだ一度もパフォーマンスをしたことがなかった。

今回のプロジェクトは、「サンバ」がキーワードだったし、これでいこう!!

さて、あとは原稿のデザインだが、これは大田区報が参考になった。

タイトルの感じと、写真を多用している感じ。

とりあえず真似して、たくさん写真を使ってみた。文章もなるべくシンプルで短く、わかりやすくしてみた。

  • ・・できた!!

実際に作業し始めたらあっという間だった気がする。

自宅のパソコンが、まさかのパワーポイントがなく、エクセルで作る羽目になったが、

なんとか作り上げることができた。

出来上がったものは、大田区報とはまったく違う感じにはなったが、よいのではないか。

フリーペーパーに載せる原稿というよりも、チラシみたいになったが、よいのではないか。

やりきった・・・!!

ただ、もうすでにネタを出し切った感が否めない。

次回のフリーペーパー発刊には不安しかないが、先のことは考えないようにしよう。

続く

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10月10日

フリーペーパー原稿について、吉野さんから褒めてもらえた。しゃーおらっ!!

同時に、次回作への期待の強さと、上げてしまったハードルの高さをひしひしと感じた。

フリーペーパーの件はいったん落ち着いたので、続いてはダンス講師集めだ。

二人目を探さなくてはならない。

一人目は、ダンス経験のある若手男子。フットワークが軽くて使い勝手がよい青年だった。

二人目は、ダンス経験は問わず、障害分野に関わりや興味のある人がよいと思った。

適任はすぐ見つかった。

ダンス経験はあまりないが、センスがある。社会人で、間接的ではあるが障害分野に携わっている。

そして、何より大事なのが、

女の子であること。

このプロジェクトは絶対成功させなければならない。相当の負荷がかかることはわかっていた。心が折れそうなときのために、ダンス講師メンバーには女性がいなくてはならない。男はすでに一人確保したから、これ以上男は要らない。残りは僕の好きな女性陣で固める。

実は、その女の子には声をかけようと前々から思っていたのであった。障害分野との関わりがあることなどは、後付けの理由であった。それっぽい理由があったので、誘いやすくなった、というだけのことであった。

思い立った僕は、さっそく彼女にメールを送ってみた。

「最近、どう?」

「ちょっと相談したいことがあるので、ランチしよう!」

「いや、相談というかむしろ、8割デートだと思ってもらっておっけーです!」

自分の伝えたいことだけを一方的にまくしたて、しばらく返事を待った。

意外と返事はYESだった。

一人暮らしのうすら寒い部屋の真ん中で、僕は笑いがとまらなかった。

二人で会うのは10月16日。

この日、何かが起こる...!!

僕は、本来の目的をすでに見失いかけていた。

続く

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10月13日

ダンス講師の人集めと並行して、ダンスのコンセプトについて、認識のすり合わせをおこなわなくてはならない。

曲や構成なども、ふわっとでよいから決めておかないと、動き出すことができず、時間だけが過ぎていってしまう。

僕は荏原高校の田中先生にLINEを送ってみた。

だいたい以下のような内容である。

「はじめまして!ダンスよろしくお願いします!一回会って、どんな感じでいくか話しましょう!」

まるで大学のサークルのような文面である。

半日後、至極丁寧な文章で、まだそもそも上からGOサインが出ていないのでなんともお伝えいたしかねます、やめときましょう、という旨の、非常に現実的な回答がきた。

ここで引いてはいけない、このマッチョ先生は、体当たりのコミュニケーションを求めているはず。僕は、試されている。僕は、それに応えなければならない。

僕は、相手のことも最大限考慮したうえで、いまの自分にできる精一杯の気持ちを送った。

「ですよねー。」

完敗である。さすが社会人。

自分も社会人の端くれだとは思っていたが、相手は想像以上に大人であった。

マッチョ先生かと思っていたが、かなりのインテリジェンスだった。

その後のやり取りで、田中先生とは、

決起集会で話しましょう!ということで決着した。

続く


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